ウェブ家の備忘録

ウェブデザイナーの備忘録

子猫が亡くなって死の過程と介護の大変さを肌身に学びました

 今日うちの子猫がなくなりました。うちには猫が二匹居て、一匹は飯だけを食べて外で元気に過ごす野良猫のような奴で、もう一匹は病気をしている子猫。病気をしている方の猫が生後3ヶ月に亡くなりました。

 性格が良くてかわいい子猫が日々段々と弱り続けて何もできなくなっていって、私のため息が日々大きくなっていました。

 

子猫の症状

・初めは自力で動き回れていたものがだんだん動けなくなる。トイレ場に自分で行けなくなる。

・鳴くことで助けを求めるようになる。

・最期は食べれなくなるしほぼ動けない。声がかすれる。

 最後は暖かいこたつの中で冷たくなっていました。

 

 猫は大体の場合、多少雑に扱っても生命力があるので問題ないです。うちの外猫は餌をあげているだけなので雑さの極みです。今まで沢山猫を飼いましたが、最期までも介護が必要になるほどの猫はそう居ませんでした。それに対してこの子猫は雑に扱ったらすぐに死んでしまうという。愛情深いのに何もできないという。

 知り合いには、一見何でもないけれど精神的な病気を持ってて疲れやすく、一人では生きていき辛い人がいます。自身の怠慢だ食育が上手くいってないからだと、本人の努力不足と決めつけたいのですが、子猫のように本人ではどうしようもない分かり辛いハンディキャップもあるんだと学びました。

 この経験を通して私は前よりある意味より大らかになれた気がします。

 

 介護の大変さが、全部ではないながらも非常に親身に分かりました。

・子猫は段々とできることが少なくなり、介護する私たちはしっかり子猫のことを考えて献身する幅が広がっていく。子猫が必要としている範囲が介護者の介護する幅でフォローできなくなったらいずれ亡くなる。

 介護することで献身の意味合いややり方を肌身に学んだ気がします。

 

 子猫が死ぬ前にも、クリスチャンの身内からは子猫介護する私を労わって「死んだら猫に会えるね」「(私)が死んだら動物園じゃん」と言ってくれました。気持ちはありがたいので「実は犬猫以外にイタチも狸も鴨も居るのよ」と返事して場をつないだのですが、今は「子猫に死んでほしくはなかった。うちの外猫と同じように介護の必要のない子猫になって欲しかった」と言って場を壊しそうで。少し自重しようかと思います。

 

 身内に赤子を育てている人がいます。赤子の介護は赤子が大きくなれば段々楽になり、いずれ自分を助けてくれるものになるという希望があるのが良いですよね。

 くどいかもですが、私の方の猫も子猫であり赤子だったのですけれど、こちらが希望を持てなくなるようにだんだん弱り方が深くなって亡くなりました。こちらのため息が日に日に大きくなっていきました。性格のいい子だったので死んでほしくはなかったです。

 介護には、被介護者がだんだん大変になって死んで終わる方と、被介護者が健常に向かってだんだん楽になって終わる方があるのだと学びました。どっちの方の介護になるかは介護する人の手間もあるのですが、被介護者の生命力に委ねられているのでしょう。終身介護は辛いですね。

 

 子猫にとってみれば、元々寿命の短い間で、家族や塾の子供たちから多大に愛されて、子猫自身は皆に懐いて腕の中でゴロゴロ喉を鳴らして、たった3ヶ月でしたが充実した幸せな生涯を過ごしたのではないかと思います。

 介護依存と言うのでしょうか、長い外出の際に「家の子猫が弱ってないか心配だな、あ死んでたわ」とため息したり、部屋に帰って子猫を探そうと頭をよぎるたびに「あ死んでたわ」とため息したりと、以前の生活の大部分だった子猫介護のその精神的痕跡が今でも根深くあり、忘れるのにかなり時間を要しそうです。

 子猫の生涯を幸せに全うさせた事実を素直に誇るべきなのでしょう。そのように意識をスイッチしていくよう努めます。